世界を生むとき
−子供部屋のおばけ−

  「ナツカワ、契約破棄だよ」
 子供部屋へ戻りそう言うと、ナツカワは意外とあっさりと分かった、と言った。もっとてこずると思っていたエナは呆気にとられて彼を見つめた。すると、ナツカワはタクロウの姿のまま、皮肉びた笑みを浮かべた。
「言っただろ? ご主人様(おまえ)に従うって。別に危害を与えるために近づいたわけでもないし。気力ももう十分に貰ったしな。それに、ツルオカに気づかれたんだったら、もう此処にはいられねーし。いいぜ、契約破棄大賛成だ」
 茫然とするエナを尻目に、ナツカワはどんどん話を進める。元々お喋りな方みたいだが、今日はやけに饒舌だ。
「しっかし、俺がナツカワだって分かったってことは、お前はもうタクロウのことをふっきれたってことだろ。……よかったな。これでツルオカの悩みも一つ解消されるだろうよ」
「何、それ」
「お前、本当に質問ばかりな。……まだ気づかねーのかよ」
 そう言うとナツカワは、エナがいつかツルオカに貰った名刺を取り出した。いつのまに見つけたのだろう。驚くエナはおいてけぼりにナツカワは説明を続ける。
「普通、ツルオカをローマ字にするなら、“TSURUOKA”だろ? だけどあいつの名刺は“TURUOKA”になってる。……これがどういうことか分かるか? 要するに、Sは邪魔だったから使えなかったんだ」
 ナツカワが何を言いたいのかわからないエナは、首を傾げることしかできない。
「お前、頭悪ィな。TURUOKA、この七文字を並び変えて、別の言葉にしてください。はい、制限時間30秒!」
 エナは頭の中で何度も何度も並び変えた。そして、やっとのことで出来上がった文字の羅列に、ハッと頭を上げた。
TAKUROU――タクロウ』
 ナツカワは口の端を持ち上げて「分かったみたいだな」と囁いた。
 エナの頭は混乱でかき乱される一方、頭の芯はどんどんと冴えていく気がした。
「もしかして、ツルオカが卓郎なの?」
「正解」
「だって、年だって全然違うし……それに」
「あのなー、天界と此処とじゃ、時の流れ方が違うんだって。……あいつ、ずっと苦しんだんだぜ、何年も何年も。自分があんなタイミングで死んだせいで、お前が苦しんでるんじゃないかって。……ったく、アイツも馬鹿だよな。人がこうやっておせっかいでもしない限り、自分で会いに行く勇気もないなんて」
「じゃあ、もしかして、私に近づいたのも全部卓郎の為に?」
 ナツカワはいつかのようにエナの頭をはたくと、何も言わずに消えてしまった。
 すぐにツルオカが現れる。
「よかった、僕がここに来れたってことは、これでエナさんはナツカワから解放されたんですね! それより……ナツカワはどうしたんです? まさか、もう逃げて……」
 ツルオカの言葉を遮って、エナは彼に思い切り抱きついた。困惑の表情を浮かべるツルオカに、エナは体を話すと、微笑んだ。おそらく、この半年間で初めての本当の笑顔で。
「卓郎……もう私は大丈夫だよ。だから、もう心配しないで」
 ツルオカは目を丸くして驚いたような顔をした後、つられるようににっこりと笑った。
「よかった。これで姉ちゃんに振り回されなくて済むよ。全く、死んだ弟にまで心配かけるだなんて、なんて姉ちゃんだ」
 おどけたようにツルオカは言う。丁寧口調ではなく、人を揶揄するような卓郎の口調で。
 久々に聞く、「姉ちゃん」という言葉に、エナは溜まらない懐かしさを抱いた。
「……僕はもう戻るよ。ナツカワも追わなくちゃならないし」
「うん……ナツカワと仲良くね」
「姉ちゃんこそ、母さんと仲良くな」
 そう言って、ツルオカ……いや、卓郎は姿を消した。
 後には、恵那だけが部屋に残された。

 恵那が『元の世界』に戻って初めてしたのは、志津子さん……いや、大好きなママの再婚を認めることだった。
 結婚式の日、ママはウエディングドレスを着たままで、恵那に本当によかったのかと聞きに来た。身内だけの小さな結婚式とはいえ、バージンロードを歩いている最中に、道をそれてわざわざ恵那のところへ来たのだ。観客は何事か、とざわめき始める。神父も新しい旦那も慌てて彼女を止めようとしたけれど、ママは至って真剣だ。よっぽど恵那に反対されるのが怖いらしい。恵那はくすりと笑ってママを抱きしめた。
「ママにはママの人生があるんだから。私は何も言わないよ。……結婚おめでとう」
 ママは恵那を思い切り抱きしめ返した。会場に、拍手が鳴り響いた。

end

 

世界を生むとき04へ

世界を生むとき TOP

         Copyright (c) 2000 Sumika Torino All rights reserved.